2020年2月5日水曜日

★奥の細道紀行 第253章 高岡市旅籠町「芭蕉一宿の地」

『曾良随行日記』『○十四日 快晴。暑甚シ。富山カヽラズシテ(滑川一リ程来、渡テトヤマへ別)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計)。 氷見へ欲行、不往。高岡へ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻(さるのじょうこく、午後4時前)着テ宿。翁、気色不勝。 暑極テ甚。不快同然。
十五日 快晴。高岡ヲ立 。』
〇芭蕉と曾良が高岡市で一泊したことは確か。
高岡の何処に泊まったかについて手掛かりはない。奥の細道の旅は、芭蕉が旅先で俳友・門人を訪ね歩く旅でもあった。連泊した地は、そのような人達を訪ね当てた地だった。高岡はそういう地でなかった。滑川から酷暑の中をようようにして辿り着いた単なる宿泊地だった。となると、高岡での宿泊地は「旅籠町」の名に往時の面影を残すあたりと見るのが妥当だろう。そこで「旅篭町」を訪ねてみた。初めは見当がつかなかったが、色々な人に聞き訊きしながら探訪して遂に辿り着いた。
↓向こうに鳳凰橋が見える。この橋の相当手前を左に入ると旅篭町があると教えてくれた人がいた。
 橋の中央に向き合って鳳凰がいる。
 ↓橋の手前の小路に当てもなく入ってみた。行くと家の前に老人老女が坐って話していたので旅篭町が今もありますかと問うと、行き方を教えてくれた。今も町はあるのだ。御礼を述べたら「ご苦労さん」と言われた。↓写真の小路をもっと行って左に入り、一つ目の十字路を右に折れる、そして真っ直ぐに行くとお宮さんがある、その宮の前を左に折れて行くとそこが旅篭町だそう。
  ↓指示通り歩いて行くと、あぁ嬉しや、神社があった。「川巴良諏訪神社」。「川巴良」は「かわはら・川原」だろう。
 ↓神社の前を左にカープして行く街並。このカーブはさしづめ宿場町特有の枡形の成れの果てか。
 ↓「ハタゴ町」であることを確認。「旅篭町」だ。宿屋らしき古家は残っていない。
 ↓大通りからこの神社に至るには「川原本町」交差点(丁字路)から入るのが正解だった。この交差点も枡形の名残か。

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