2020年2月21日金曜日

★奥の細道紀行 第292章 敦賀市塩津街道(滋賀県との県境)「孫兵衛茶屋」

大垣大団円
《奥の細道》 《露通(路通の誤記)も此みなと(敦賀湊)まで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合(★註)、越人(越智越人・えつじん)も馬をとばせて、如行(近藤如行・じょこう)が家に入集る。前川子(津田前川・ぜんせん)荊口(宮崎荊口・けいこう)父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のもの(芭蕉自身を指す)にあふがごとく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて

蛤のふたみにわかれ行秋ぞ 》
★註 『曾良旅日記』によれば、曾良が伊勢から大垣にやって来たのは、93日のこと。『荊口句帳』によれば、芭蕉はそれより早く821日以前に は大垣に到着していたようであるから、この記述は厳密に言えば正しくない。
〇芭蕉はいよいよ結びの地大垣に向かう。大垣から門人らが迎えに来て、等栽とは敦賀で別れた。ここからの旅は馬が用意された。
↓ 滋賀県境に「峠茶屋・孫兵衛「」が今もある。この茶屋は芭蕉と縁が深い。







 ↓「福滋県境・孫兵衛茶屋」
 「芭蕉翁と西村家 西村家は遠く村上源氏の出。この峠を開拓。ここ北陸街道の要所に問屋を営んだ旧家であり芭蕉とのゆかりが深い。
一、おくのほそ道素竜本を秘蔵(国重文)
一、芭蕉翁松風塚と名園 松風の落葉か水の音すゝし
一、蕉風に心酔した俳人 当家十世野鶴 十三世自得が出た
一、峠の要路 旧塩津街道の一部を残す

 ↓茶屋の前から滋賀県側を見る。峠の頂上が見える
 ↓敦賀側を見る
 〇店の奥の大きなガラスショウケースの中にただならぬものが展示されている。
「おくのほそ道・素龍清書本」の本の標題「おくのほそ道」の六文字だけは芭蕉が直筆で書いた、その真筆が写真印刷されている。目ざとくこの文書を見つけたボクに、亭主は芭蕉真筆を印刷した貴重な短冊を二枚封筒から取り出し呉れた。一枚で結構と遠慮したのに二枚呉れた。

↓ボクが頂戴した二枚の標題印刷物、短冊になっている。芭蕉真蹟の六文字
↓素龍清書本 
 ↓「平成24年住友財団の助成により「おくのほそ道」の修復を行いました」
  ↓「西村家秘蔵・奥の細道の原本に就いて」 研究文献である
 ↓以下、素龍清書本の拡大






 ↓「越前敦賀郡新道野・西村孫兵衛」

 〇亭主が、道を挟んだ向かいの家の古い庭に芭蕉句碑「松風塚」があるから見ていってくれと言われるので遠慮なくお邪魔した。


 ↓中央にある丸い石が「松風塚」




 『松風の落葉か水の音すゝし』(芭蕉全句集にこの句は載っていないという説があるそう)



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