2020年2月12日水曜日

★奥の細道紀行 第263章 加賀市片山津②「実盛塚」

↓「篠原古戦場・実盛塚 駐車場」
 ↓駐車場から「実盛塚」は離れている。その入口を発見するのはなかなか難しい。
 ↓「篠原古戦場・実盛塚」





 ↑実盛塚 この一帯は源平争乱の舞台「篠原古戦場」です。寿永2年5月(1183年)、倶利伽羅の合戦の大勝の余勢をかって攻めたてる木曾義仲(源義仲)軍を相手に、敗走する平家軍の中で、ただ一騎、踏みとどまって戦ったのが斎藤別当実盛でした。実盛は木曾義仲幼少時代の命の恩人でしたが、これを秘し、73歳という老齢の身を侮られぬよう白髪を黒く染め、名乗りもあげず戦いました。しかし、奮戦むなしく手塚太郎光盛に討ち取られ、劇的な最期を遂げてしまいます。そのなきがらを葬ったと伝えられているのが、ここ「実盛塚」です。伝説では応永21年(1414)に時宗14世遊行上人が篠原の地を巡錫中、実盛の亡霊があらわれ救いを求めたので、上人が回向したらたちまち成仏したといわれ、世阿弥作の謡曲「実盛」でひろく世に知れ渡っています。ここ「実盛塚」の周辺には、討ち取られた実盛の首を洗ったとされる「首洗池」や、実盛が髪を染める際に用いた鏡を安置したと伝えられる「鏡の池」など、実盛の伝説にまつわる場所があります。また、隣の小松市には、実盛の死を深くあわれんだ義仲が、実盛の着用の兜や鎧などを奉納し、その供養を依頼した「多太神社」があります。」
↓  地蔵堂がある
 ↓ 実盛塚

 ↓塚の松は、実盛の兜の形に似ていると言われる


 ↓塚の裏側

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