朝、今週末も無宿流浪の旅に出た。温暖。行き先はこれといって決まっていなかったが、とにかく西へ、そして南へ。その方が、桜の期待ができるから。走っているうち「彦根城」を見学することに。今日こそ長年の懸案、三成の「佐和山城」は「彦根城」と一致するのか、違うなら何処にあったのか、を解決する。 これが彦根城特異の「天秤櫓」。
「天秤櫓」(重要文化財)。「豊臣秀吉が創建した長浜城大手門を移築したといわれているもので、丁度天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれた。この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つといわれている。嘉永7年(1854年)に中央部から西方の石垣を足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ、西半分は落とし積みになっている。」
「天秤櫓」(重要文化財)。「豊臣秀吉が創建した長浜城大手門を移築したといわれているもので、丁度天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれた。この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つといわれている。嘉永7年(1854年)に中央部から西方の石垣を足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ、西半分は落とし積みになっている。」
櫓の2階内部。
天秤櫓を潜った所。
「太鼓門櫓」、「続櫓」。重要文化財、桃山時代。「本丸の表口を固める櫓門。築城時に他の城から移築された。櫓門としては珍しくその背面が開放されて高欄付きの廊下となっている」
太鼓門櫓を背面から見た。ここを曲がると本丸。いよいよ天守閣がお目見えする。けどもそれは次回に。疲れたf(~_~;)
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