「四天王寺」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されており、日本最古の官寺である。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。元は天台宗に属したが、日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺であり、「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に和宗総本山として独立宣言を出している。法隆寺が飛鳥・奈良時代にさかのぼる建築や美術工芸品を多数残すのに対し、四天王寺はたび重なる災害のため、古い建物はことごとく失われている。
聖徳太子は日本仏教の祖として、宗派や時代を問わず広く信仰されてきた。太子の創建にかかる四天王寺は、平安時代以降、太子信仰のメッカとなった。また、四天王寺の西門が西方極楽浄土の東門(入口)であるという信仰から、浄土信仰の寺としての性格も加えていった。太陽の沈む「西」は死者のおもむく先、すなわち極楽浄土のある方角と信じられ、四天王寺の西門は西方の海に沈む夕陽を拝する聖地として、多くの信者を集めた。現在も寺に伝わり国宝に指定されている「四天王寺縁起」は、こうした信仰を広めるのに大いに力があった現在も黄昏時の茜色に染まった西の空を背景に見る四天王寺の伽藍のシルエットの、この世のものとは思えない美しさはつとに有名である。現存の中心伽藍は昭和32年(1957年)から再建にかかり昭和38年(1963年)に完成したもので、鉄筋コンクリート造である。だが、飛鳥時代の雰囲気を伝えるシルエットとされている。
中心伽藍――中心伽藍南から北へ中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂を一直線に配置し、中門の左右から出た回廊が講堂の左右に達する「四天王寺式伽藍配置」を踏襲している。これらは第二次世界大戦後に再建され、1963年(昭和38年)に落慶法要が営まれた鉄筋コンクリート造建築だが、日本の飛鳥時代、高句麗、六朝などの建築様式を加味して創建当時(6世紀末)の様式に近付けようとしたものである。
南大門
南大門から見た仁王門・五重塔、一直線状に並んでいる。 南大門から入って直ぐの仁王門の仁王像
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