2010年4月29日木曜日

4/29(木)、今夜のお泊まりは‥聞いて驚くなっ(`´)

「紫波SA」!盛岡の手前の岩手県の紫波f(^_^;)。今朝は7時にセレナを始動させ北に北に向かった、目指すは「平泉」。常磐道を直進北上して「いわきJCT」で磐越道に乗り換え「郡山JCT」で東北道に乗り換えて午後1時半に到着。その前、いわき市の顔を見に行った。いわき市は人口30万都市。福島県では1位郡山市に次いで2番目、福島市は28万ほどで何と「いわき市」の下の3番目。どうも市町の大合併で30万都市に成り上がったらしい。どんな顔をした30万都市なのか、地理好きの僕には前から関心があった。それでこの際、会っておくことに。「いわき中央IC」で下りた。ICには「いわき」の名を冠したのが3、4もあるが、下に降りると道路案内に「いわき」と付くのは皆無、「平」とか「小名浜」という昔馴染みの地名が出てくる。要するに磐城地方の弱小都市が寄り集まって(徒党を組んで)30万都市を標榜しているよう。そうすると首領級の都市は平(たいら)、かつて石炭産業華やかなりし頃、平は常磐炭鉱の中心都市として栄えた、それでも人口は10万まで行かなかった筈。案の定市街地は大した規模ではない、ものの10分間で一回りした。分散型都市という新しいタイプの30万都市。そう言えば磐城・郡山の桜はもう殆ど散っていた。さて話は平泉、そこへの道中も着いてからも雨に祟られた。「中尊寺」の探訪はずぶ濡れで強行、カメラを濡らすまいとタオルで包んで必死のパッチ。前に女房と訪れたことがあるがもう30年近くも前、今32歳の長女がまだ幼稚園だった。「金色堂」は勿論、全山隈なく見て歩いた、所要2時間。それから直ぐに「毛越寺(もうつじ)」に回った、時間切れになるかと焦りながら。毛越寺に入った途端、雨が上がり晴れ間が見え出した。久し振りに気持好く見学して回った、雨上がりの景色は凛として清々しい。その毛越寺には驚かされた。基本的には桁違いに大規模な庭園を中心にした遺構・遺跡であって、今ある門や本堂はその遺構・遺跡の管理施設然としている。だがその廃墟が千年後の今も今にも雄叫びを挙げそうに躍動している。廃墟となる前のその雄姿を想像するだに圧倒される。その構想の壮大さ、センスの繊細さが今もピンピン伝わってきて、まさに感動的、芸術的。大池(というよりも湖)を周遊しているだけで瞬く間に1時間半が過ぎた、5時を過ぎたら寺の人達が引き揚げてしまったので僕も「時間外出口」から駐車場へ。天気が回復しそうなので明日は更に北に足を延ばして弘前城の桜を見学するつもり。あっそうそう話が後回しになったが、東北も岩手県辺りまで来ると桜が今まさに満開爛漫。弘前城と桜の構図、岩木山とリンゴの花の構図に当たってみるつもり、信州はもうリンゴやナシの白い花の季節だが、津軽はまだ早いかな。十和田湖から奥入瀬渓谷を下る構想も検討の余地が出てきた。空が晴れると自然と心も晴れる。観光渋滞に巻き込まれない段取が旅のプロの腕の見せ所。それじゃぁこの辺りで失礼します、明日またぁ(^O^)/

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