2010年4月17日土曜日

金峯山寺

山道を登り続けると土産物店が並び始める、と思った途端、この仁王門が立ちはだかる。歴史の試練に耐え抜いてきたその古色・風格に圧倒される。国宝。
蔵王堂。その壮大で荘厳で歴史の重みを感じさせる古色蒼然たる雄姿には圧倒される。国宝。
蔵王堂内部の柱。
大塔宮の陣地跡。「大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)」は後醍醐天皇の皇子、建武の中興で活躍。太平記に登場。鎌倉・北条に対して挙兵した天皇は敗北、捕えられて隠岐島に流された。大塔宮は熊野十津川に落ちたが、十津川郷士を味方に得て全国に討幕の令旨を発した。天皇も島を脱出。足利高氏が鎌倉・北条を裏切ったことにより後醍醐天皇が勝利、北条滅亡。大塔宮は征夷大将軍に任ぜられ、足利尊氏は鎮守府将軍(高氏は天皇の名から「尊」の一字を頂戴して尊氏と改名)。二人の対立が深まる。やがて大塔宮は謀反の罪を被って失脚、鎌倉で惨殺された。大塔宮が盛んに討幕勤皇の令旨を発した時、吉野金峯山寺を味方とし愛染宝塔を城郭として陣を構えた、その陣地跡とされている。蔵王堂の正面にある。因みに「大塔(おおとう)村」の名前は、大塔宮を助けた故事を誇りとして名付けられたそう。 観音堂
愛染堂
天満宮
後醍醐天皇導き稲荷大神

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