2010年4月22日木曜日

藤原宮跡

橿原神宮を目指していた。が、橿原市内で藤原宮跡の道路案内標示を見て気が変わり、先ず藤原宮跡を訪ねてみることに。それらしき所に至った。
これは「天香具山」に違いない。東方。
これは「畝傍山」に違いない。西方。

「特別史跡 藤原宮跡と大極殿
藤原京は、持統天皇の8年(694年)から和同3年(710年)まで、持統・文武・元明天皇3代にわたる都でした。藤原宮はその中心にあたり、現在の皇居と国会議事堂、それと霞が関の官庁街とを一か所に集めたようなところです。大きさは約900m四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に三か所ずつ門が開きます。中には、天皇が住む内裏、政治や儀式を行う大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいました。重要な政治や儀式の際に天皇が出御する建物が大極殿です。藤原宮で最大の建物であり、正面9間(45m)、側面4間(20m)、基壇を含めた高さは25mを越える。これは、現在の8階建てビルと同じくらいです。礎石の上に赤く塗った柱を使い、屋根は瓦葺きという中国風の建築で、これは宮殿としては日本最古のもの。現在は基壇の跡だけが残り、「大宮土壇」と呼ばれます。1935年、日本古文化研究所が発掘調査し、藤原宮解明の端緒となりました。」

朝堂院南端で昼食を摂る人たち
大極殿西から南西方向を見る、右端に天香具山が覗く。
朝堂院越しに東方・天香具山を望む。大極殿跡
朝堂院北西角から遠く「畝傍山」を望む。
朝堂院南端から遠く明日香方面を望む。
大極殿跡から見える「耳成山」。北方
醍醐池。右端に見える土手の線が、その昔、大極殿の北端を限っていた。
醍醐池から見た耳成山

醍醐池から見た畝傍山
醍醐池から見た天香具山
東方から大極殿址を見る。
朝堂院南端から東方・天香具山を見る。
朝堂院南端から西方・畝傍山を見る。
発掘された礎石、多分。

ツグミ(多分)が飛来。
大極殿北西端
大極殿・南西端
朝堂院・北西端
朝堂院・南東端
かくして大和三山を確定し、現地で比定することができた。大収穫。

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