これは「天香具山」に違いない。東方。
これは「畝傍山」に違いない。西方。
藤原京は、持統天皇の8年(694年)から和同3年(710年)まで、持統・文武・元明天皇3代にわたる都でした。藤原宮はその中心にあたり、現在の皇居と国会議事堂、それと霞が関の官庁街とを一か所に集めたようなところです。大きさは約900m四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に三か所ずつ門が開きます。中には、天皇が住む内裏、政治や儀式を行う大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいました。重要な政治や儀式の際に天皇が出御する建物が大極殿です。藤原宮で最大の建物であり、正面9間(45m)、側面4間(20m)、基壇を含めた高さは25mを越える。これは、現在の8階建てビルと同じくらいです。礎石の上に赤く塗った柱を使い、屋根は瓦葺きという中国風の建築で、これは宮殿としては日本最古のもの。現在は基壇の跡だけが残り、「大宮土壇」と呼ばれます。1935年、日本古文化研究所が発掘調査し、藤原宮解明の端緒となりました。」
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