2019年11月6日水曜日

★奥の細道紀行 第157章  山形県新庄市「柳の清水・芭蕉句碑」

↓新庄に向かう途次、舟形で見た最上川
↓JR新庄駅
↓新庄市郊外から見た鳥海山。芭蕉も見たことだろう
 ↓同じく月山

〇「柳の清水」のことは、《曾良随行日記》にも表れていない。が、芭蕉はここ柳の清水に立ち寄って旅の渇きを癒したはずだとされている。そして芭蕉が、風流(俳号)渋谷甚平衛を訪ね挨拶代わりに詠んだ句が《水のおく氷室尋ねる柳かな》だったとされ、その句碑がここ柳の清水の畔に立っている。

↓「奥の細道・氷室の句碑と柳の清水」の案内標識が立っている。


 ↑「芭蕉翁ゆかりの氷室の清水跡  ‥‥尾花沢、大石田と泊りを重ねた。それから舟形まで馬で送られ、あとは徒歩で羽州街道を北進し、鳥越一里塚を過ぎて右に折れ、左に曲がる角に地蔵堂が建っている。近くに柳の大木が茂って蔭を作り、側にはこんこんと清水が湧き出ている。処の人たちは「柳の清水」と呼んでいた。この日は六月一日(七月十七日)の昼ごろであった。訪ねる風流亭(渋谷甚兵衛宅)は間近と聞いていても、この涼しげな柳と清冽な清水を見て、芭蕉と曾良も小憩をとって一掬咽喉をうるおし、汗も沈めたことであろう。
『水の奥氷室尋ねる柳かな』
これが風流亭での芭蕉の挨拶の句であった。氷室は甚兵衛を指している。二人は風流亭に二泊して六月三日最上川の河港本合海から乗船し、庄内に下られたのである。」
↓「延命地蔵尊堂」 柳の清水の向かいにある。
↓「柳の清水及び句碑」




 ↓句碑
 《水のおく氷室尋ねる柳かな》



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