2019年11月25日月曜日

★奥の細道紀行 第192章 芭蕉は象潟から酒田に戻り七泊を過ごした。「玉志・近江屋三郎兵衛宅跡」

〇芭蕉は象潟から酒田に戻り、戻ってから酒田で七泊した。その七泊のことを芭蕉はたった一行で片づけている。
奥の細道『酒田の余波(なごり)日を重ねて、北陸道の雲に望む。遥々(はるばる)のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで百卅里と聞く。‥‥
曾良随行日記』によって七泊の日程の概要が知れる。芭蕉は俳友との交友を重ねた
『〇十八日‥‥暮ニ及テ、酒田ニ着。
○十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺嶋彦助江戸へ被レ趣ニ因テ状認。翁より杉風、又鳴海寂照・越人へ被レ遣。予、杉風・深川長政へ遣ス。
○廿日 快晴。三吟。
○廿一日 快晴。夕方曇。夜ニ入、村雨シテ止。三吟終。
○廿二日 曇。夕方晴。
○廿三日 晴。近江 ()三良(郎)兵へ() 被レ招。夜ニ入、即興ノ発句有。
廿四日 朝晴。夕ヨリ夜半迄雨降ル 。』
〇↓「玉志・近江屋三郎兵衛宅跡」 
ここで連句の会が催され有名な「初真桑」の歌仙が巻かれた。その芭蕉真筆の懐紙が酒田の本間美術館に保存されているという。それで、本間美術館に行ってみた。確かに展示されていた。が、市指定文化財に留まる。市指定という点にボクのこだわりが残った。果たして真筆なのか。

玉志・近江屋三郎兵衛宅は、現在の荘内証券の建物の前・角にあった。酒田市街地の真ん中


↓「玉志近江屋三郎兵衛宅跡」
↓酒田湊日和山公園の芭蕉文学石碑
↑↓「松尾芭蕉 あふみや玉志亭にして、納涼の佳興に瓜をもてなして発句をこふて曰く、句なきものは喰事あたはしと戯れけれは
初真桑四にや断ん輪に切ん  はせを
初瓜やかふり廻しをおもい出つ  ソ良
三人の中に翁や初真桑  不玉
興にめててこゝろもとなし瓜の味  玉志
      元禄二年晩夏末
芭蕉が酒田在中の元禄二年(1689)6月23日、市内のあふみやに招かれて、即興の発句会を催した時の作で、芭蕉が懐紙に残しており、本間美術館に保存されている。」
〇本間美術館 「初真桑」歌仙の芭蕉真筆懐紙が保存されているというので訪れた。懐紙は展示されていた



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