2019年11月18日月曜日

★奥の細道紀行 第177章 山形県酒田湊「芭蕉坂」

〇芭蕉と曾良は、鶴岡城下の内川の船着き場から乗船して、最上川の支流の赤川に出て、そのまま最上川の河口まで来た。芭蕉らが下船したのは
↓この辺りらしい。ここは最上川の河口。因みに赤川は今は最上川に注いでいない。途中で掘削された放水路を北に流れて日本海に直接流れ込んでいる。駐車場から芭蕉坂は始まる。駐車場の右側の丘の上に日和山公園がある。
 ↓芭蕉坂

 ↓「昔、鶴岡・酒田間は赤川を走る日通し船で往来していた。旅人は御米置場辺りから上陸するとこの坂を歩き、鶴岡街道と呼ばれる出町・六間小路を通って町へ出た。古い石段はそれを物語る。俳聖芭蕉も曾良と共にこの坂を歩いて伊東不玉宅を訪れたのであろう。」

 ↓出町
↓「明暦図や天和3年(1683)巡見使覚書には猟師町と出ている。元禄以降船場町が栄えると共にできたものであろう。ここから秋田町に至る通りを鶴岡街道といい、鶴岡から赤川を下ってくる旅人で賑わった。芭蕉翁もここを通ったものと思われる」

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