2019年11月21日木曜日

★奥の細道紀行 第191章 象潟「JR駅前芭蕉句碑」「能因島」

〇カン満寺の老奥さんに位置を教えて貰ってJR象潟駅前に来た。ここに芭蕉句碑があると案内書に書いてあったので。
 ↓左の木陰に芭蕉句碑がある。


 ↓カン満寺所蔵の芭蕉真筆文書の筆跡を刻したものだそう。
 ↓「芭蕉文学碑 この文学碑は、松尾芭蕉の来象と秀れた象潟の俳文を称えて昭和47年に芭蕉文学碑建立委員会が建立しました。碑文はカン満寺所蔵の芭蕉筆「象潟自詠懐紙」を拡大して刻んだもので、次のとおり書かれています。
   象潟
 きさかたの雨や西施かねぶの花
     夕方雨やみて処の何がし舟にて江の中を案内
     せらるゝ
 ゆふ晴や桜に涼む波の華
     腰長(こしたけ)の汐といふ処はいと浅くて鶴おり
     立てあさるを
 腰長や鶴(つる)脛(はぎ)ぬれて海涼し
              武陵芭蕉翁桃青 」
 〇駅前に案内看板があり、その隅に絵が付せられていた。その絵が隅に置けない貴重なもの。
↓象潟と鳥海山の古図 文化元年前の象潟・渡辺直道画
 ↓現在の象潟 能因島と鳥海山

奥の細道》《‥‥其の朝(あした)天能(よく)(はれ)て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先ず、能因嶋に舟をよせて、三歳(みとせ)幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木(おいき)、西行法師の記念(かたみ)をのこす。‥‥』
〇「花の上こぐ」 (伝・西行法師の歌)
《きさがたのさくらは浪にうづもれて花のうへこぐ海士のつり舟》
↓ 今は道の脇にあって島には見えないが、往古は潟に浮かぶ島だった。それにしても「三年幽居の跡」にはとても見えない。こんな小さな島に三年も幽居できるものか。いつの頃から能因島と呼ばれるようになったのかははっきりしないそう。本来の呼称は文献に見られる「めぐり島」だったものが、元々伝えられていた能因法師伝承を踏まえていつとはなしに美化される形で「能因島」となったのではないかと、↑の「きさかたさんぽみち」は述べている。




↓ カン満寺の裏庭にある「西行法師の歌桜」。何代も生まれ変わっているのだろう。
〇歌枕。
きさがたのさくらは浪にうづもれて花のうへこぐ海士のつり舟》(伝・西行法師の歌)

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