2019年11月15日金曜日

★奥の細道紀行 第173章 「湯殿山参拝」

奥の細道》《八日、月山にのぼる。‥‥息絶身こごえて頂上に臻(いた)れば、日没て月顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消れば、湯殿に下る。
谷の傍に鍛冶小屋と云有。此国の鍛冶、霊水を撰て、爰に潔斎して剣を打、終「月山」と銘を切て世に賞せらる。彼 竜泉に剣を淬(にらぐ、焼きを入れる)とかや。干将・莫耶(かんしょう・ばくや)のむかしをしたふ。道に堪能(かんのう)の執(しゅう)あさからぬ事しられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊(ぎょうそん)僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。惣て、此山 中の微細(みさい)、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとヾめて記さず。坊に帰れば、阿闍梨の需(もとめ)に依て、三山順礼の句々短冊に書。
涼しさやほの三か月の羽黒山(はぐろやま)
雲の峰幾つ崩て月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
湯殿山(ゆどのさん)銭ふむ道の泪かな 曾良
 曾良随行日記』『○六日 天気吉。登山‥‥申ノ上尅(さるのじょうこく、3時半頃)、月山ニ至。‥‥
○七日 湯殿へ趣。鍛冶ヤシキ、コヤ有。本道寺へも岩根沢へも行也。 牛首コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。少シ行テ、ハラジヌギカヱ(脱ぎ替え)、手繦カケナドシテ御前ニ下ル(御前よりスグニシメ(注連)カケ・大日坊ヘカヽリテ鶴ケ岡へ出ル道有)。是 より奥へ持タル金銀銭持テ不レ帰。惣 而取落モノ取上ル事不レ成。浄衣・法冠・シメ(注連)計(ばかり、‥だけ)ニテ行。昼時分、月山ニ帰ル。昼食シテ下向ス。強清水迄光明坊 より弁当持せ、サカ迎せラル。及暮、南谷ニ帰。甚労ル。‥‥』
〇2016-7-18 
鶴岡・寒河江間の国道から分岐して湯殿山有料自動車道路を登って行くとこの石碑群に着く。
中央に「即身成仏」(ミイラ)の模型がある


↓「由来 湯殿山は出羽三山の奥の院として明治の初めまで人物集合の霊山として栄え此処、仙人沢は木食行人(一世行人)修行の霊地でありました。
 庄内地方にある即身仏6体
  真如海上人 大日坊 朝日村大納
  ‥‥
 は、皆湯殿山仙人沢に於いて五穀を断ち十穀を断って厳しい修行を重ね衆生済度のため挺身された尊い方々であります。
 最近この霊場、湯殿山仙人沢の信仰史蹟をひろく顕彰して欲しいとの要望がある矢先、映画「月山」に於いてミイラ像を作製した御縁で鶴岡市出身医博秋山太一郎氏より模擬像の奉納がありました。奇特の至りで湯殿信仰を物語る貴重な資料であります」
〇石碑群の左に大鳥居が建つ


↓左の建物は休憩所
〇大鳥居前から本宮までの間を往復するバスが15分毎に発着する。このバスに乗って本宮前に着いた。復路も利用できる。
↓「湯殿山のご由来 
 御祭神 大山祇命(おおやまづみのみこと)
     大己貴命(おおなむちのみこと)
     少彦名命(すくなひこなのみこと)
 出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古天皇元年(593)、第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子様の御開山である。皇子は、蘇我氏の難を避け、京都の由良から海路を経て、出羽国庄内浜の由良に入られた。そして三本足の霊鳥の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒山上に羽黒権現の御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧請して羽黒三所大権現と称した。
 その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄上人や修験道の祖と言われる役の行者、また真言宗の開祖弘法大師、天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行をしたとも伝えられている。こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派修験道となり、全国に名を知られ時代を重ねるにつれ、人々の篤い信仰を集めることとなった。
 此処、湯殿山は、推古13年(605)の御開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。江戸時代までは真言宗として奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離(廃仏毀釈)が発令され、古への神奈備山にかえり神社として奉仕している。
 殊に出羽三山信仰は「三関三度(さんかんさんど)」や、「擬死再生(ぎしさいせい)」など、生まれ変わりの信仰が今も尚息づいている。羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜わって、再生すると考えられる。
 特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。また湯殿山本宮では、御神体を目の当たり拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を残された。古来「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なのである。
 ご参拝について
 ・参拝バスを降り、湯殿山神社本宮参道入口より徒歩5分
 ・本宮入口で素足になってお祓いを受けてから御神前に進みお参り下さい
御祓料 500円
※本宮内はご由緒により撮影はご遠慮下さい。
↓本宮前に着いた


↓「湯殿山本宮」石碑


「湯殿山本宮」
↓いよいよ本宮に向う。ここから撮影禁止
〇石段を昇り、そして降りると不思議な世界が待っている。木杭の垣で仕切られた空間。そこに入ると先ず素足になって御祓いを受ける(500円)。それから御神体の前に進む。御神体は、ミネラル含有の湧き湯が千万年をかけて築いた噴泉塔らしい。噴泉の時期はあったかも知れないが、今は湧いている。この御神体を上り下りする。アッ、語ってしまった。これだけで罪業深いのに、ボクは実は記憶を頼りに絵を描いた。それを載せようかどうか迷ったが、さすがに止めておくことにした。
 芭蕉もこの御神体を参拝し、そして御神体である・湯で濡れた御お椀形の小山を上り下りしたに違いない。
〇徒歩で下る。↓中心に赤いあの大鳥居がほんの一部見えている。



↓途中に「山姥」が祀られている。


↓湯殿山神社がある




↓橋を渡る。川は「梵字川」。月山の雪融け水を集める。




〇本宮で御祓いを受けて戴いたお守り
〇以下の写真はこの「日本の神社・出羽三山」(羽黒山随身門前の「いでは歴史資料館」で購入2015-5-6)出自。
 ↓以下四枚の写真については、その後に説明図がついている。
①大鳥居
②玉姫稲荷神社
③姥権現
④大滝神社








↑「過去の月山、現世の羽黒山、そして未来を象徴する湯殿山、三山の御神体を巡拝することで生きたまま悟りを得られると考える「御神体巡拝」。羽黒山から入り、続いて主峰の月山で死と転生の修行を行い、湯殿山で再び再生する。かつては湯殿山を「総奥の院」と称し、最も大切な山とみなしていた修行者は故郷で葬送の儀式を済ませ、死者を意味する白衣を身に着け出羽三山を目指す。まず羽黒山山麓の宿坊で一夜泊る(一の宿)。ここが現在であり、次の月山山中で二泊目を迎え(二の宿)、死後の世界へと移る。そして最後、湯殿山で三泊目を過ごし(三の宿)、未来へと転生する。再び生まれ変わることを体験し、「結縁入峰(けちえんにゅうぶ)」が成就する。」
↓「湯殿山麓の寺院・大日坊に眠る、真如海上人即身仏」




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