2010年6月6日日曜日

6/5(土)、羽咋「妙成寺」

★この稿は大作(大容量)なので心して開くべし。
妙成寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「妙成寺(みょうじょうじ)は、石川県羽咋市にある日蓮宗の寺院。山号は金栄山(きんえいざん)。日蓮上人の孫弟子日像が開祖。日蓮宗の北陸本山で、能登随一の大伽藍をもつ。本堂、五重塔、祖師堂、経堂など10が国の重要文化財に指定されている。塔頭が五寺ある。寺伝によると、1294年、日像は、師命により京都に妙法を布教するため佐渡から七尾へ渡る船中、石動山天平寺の座首満蔵法印(乗微)と法論を交わした。満蔵法師は法華経に感銘を受け、石動山に日像を招き、全山の衆徒の前で法華の教えを説いた。ところが、衆徒は日像の説法に罵言を吐き、暴徒化し二人を襲った。二人は急いで下山し、命からがら滝谷へと逃げ延びた。日像は鎌倉より携えていた槐の杖を地面に挿し、「この杖より根が生ずるなら、汝この地に法華経の寺を建立すべし」と満蔵法印に言い残して京都に向かった。 まもなく杖より根が生え始めたので、満蔵法印は日乗と名を改め、叔父の滝谷領主柴原法光の助力を得、開山を日像、自らを第二祖として妙成寺を建立した。1582年、能登国の太守となった前田利家から寺領の寄進を受け、また、1603年、利家の側室寿福院(三代藩主前田利常の母)の帰依を受け、その菩提寺になるなど加賀藩前田家から厚い庇護を受け、隆盛を極めた。その後、七堂伽藍が完成し、1631年には、加賀藩3カ国の日蓮宗の総録所(触頭)となった。多くの建造物が重要文化財。


仁王門 - 1625年建立



浄行堂
さざれ石
仁王門を潜って境内地へ。本堂方面
境内、五重塔方面
鐘楼 - 寛永2年(1625年)建立と伝える
仁王門を振り返る
五重塔 - 1618年建立
開山堂
経堂 - 寛文10年(1670)建立
五重塔


丈六堂
丈六阿弥陀仏

「三十・番神堂」- 1614年建立本殿

拝殿
鐘楼と仁王門
本堂 - 慶長19年(1614年)建立。

本堂内陣
三光堂 - 元和9年(1623年)建立と伝える
本堂と祖師堂
祖師堂 - 寛永元年(1624年)建立と伝える
回廊、社務所・庫裏へ
書院・庭園への門
書院 - 1659年建立
書院内部

庭園、五重塔が見える
社務所・裏側に庫裏。庫裏-1593建立と伝える。妙成寺最古の建造物
遠望

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