2010年6月16日水曜日

越前一乗谷・朝倉遺跡(二)

一部町並みの再現模型。川上から見たもの
川下から
一乗谷川
唐門


唐門横に立つ石碑
朝倉館内に入る





















上の城戸。以下三枚の写真は川下側


川上側にある濠の跡

手前に一乗谷川が流れている。右側が川上
奥の山が城山。朝倉館の背面に位置する。この山の上に一~三の丸と本丸がある、小規模なもので籠城戦に耐えられるものではない。一時避難所のようなもの
城戸に向かう途中出逢ったトンボ。羽黒トンボと同種だが、茶色のトンボを見たのは初めて。

一乗谷が滅亡する様は劇的。織田信長が浅井久政・長政父子が拠る小谷城の攻城に出たとき、朝倉義景は救援に赴く。その前幕として信長の越前朝倉攻略戦にあたっての浅井勢の背後での裏切り・信長の敦賀から朽木谷経由の京への逐電劇があった。攻城戦のさなか朝倉軍は戦況不利と見て撤退を開始する。信長は直ちに自ら本隊を率いて追撃戦を開始、数日後には一乗谷は灰燼に帰した。一乗谷と朝倉家の滅亡はあっという間の出来事だった。その後程なく浅井父子も自刃し小谷城も陥落する。事態はさらに転回し、信長は浅井朝倉連合軍と連携した比叡山を焼き討ちする。吾輩の足も、一乗谷から小谷城、さらに比叡山へと向かう。

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