2010年6月21日月曜日

《法然院》

「哲学の道」をアイスクリームを舐めながら南下。浅い疎水の流れに逆らって大鯉が背びれを覗かせて奮闘。大鯉がいるのがそもそも変。

哲学の道。疏水の土手道は立入禁止。

歩けるのは疎水に沿ったこの道。

「志ゝが谷・法然院」。鹿ケ谷のことだろう。

鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧に入り、六時礼讃を唱えられた。1206年、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が発生。法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃。江戸時代初期、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって現在の伽藍の基礎が築かれた。
法然院は今も静寂清浄の中にひっそり佇んでいる念仏道場。拝観料などとは無縁の世界。


この茅葺きの山門に出逢ったときは痺れた。


白砂壇(びゃくさだん)。山門を潜ると両側に白い盛り砂がある。これは水を表わすそうで、両砂壇の間を通ることは心身を清めて浄域に入ることを意味するそう。

振り返って見た山門


講堂 もとは1694年建立の大浴室であったが、1977年(昭和52)に内部を改装し、現在は講堂として講演会・個展・コンサートなどに利用されているそう。この日は、写真・押し葉絵・メルヘン画のコラボ展をしていたので拝観、無料。

経蔵



本堂・方丈に至る道

本堂前から逆に見る

本堂

方丈

本堂向かいの地蔵菩薩




法然院の境内を出たらいよいよ空が崩れて降りだした。七尾で女房がせっかく用意した傘は、去って行った車の中にあった。ズボンのポケットに小銭があったので疏水沿いの喫茶店に入った。コーヒーを飲み終わる頃、空が明るくなり雨が上がった。東大路を横断して真如堂に向かうことに。

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