2010年6月23日水曜日

伊能忠敬記念館(2)

東日本測量経路図


幕府からの蝦夷地測量辞令。四次に亘る東日本測量の実績で幕府の信用を得た。

東日本測量の成果に基づき子午線1度の弧長を割り出した。正確だった。


幕府から西日本測量の命が下った。


西日本測量は幕府の正式事業だったので「御用」の旗の下順調に推進された。

瀬戸内海の500超の島全部の測量を短期間で成し遂げた。幕府事業だったので、測量隊の充実、諸藩の協力、地元の人々の支援があつた。


大崎下島測量風景図。伊能忠敬も描かれているらしい。

九州測量へ。



野帳



「地面経緯表」

経緯表の中の三角関数表

忠敬使用の地図作成用具





伊能地図と現代地図を見比べて面白いことに気づいた。織田信長の安土城の足元。往時は城の足許まで湖面がきていて城から舟運が開けていたそうだが、伊能図ではまさにそうなっている。

上図の近江八幡・安土山の部分を拡大したものが下図。伊能図では琵琶湖の湖水が安土山の麓まで来ている様が描かれている。現代図では干拓されてわずかに「西の湖」が残るのみ。




小図は、3枚で日本全部をカバー。




中図を貼り合わせて日本全国図を構成。


伊能忠敬の墓石の模型

刻まれている墓碑銘


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